top of page

[(17)屋我地の海

2000屋我地の海-1.jpg

真喜屋の浜で出艇(左上) 2022年7月10日。屋我地島を周回し、同地に帰着(左下)。翌年の出艇環境(右)。円内に岩

 4日後にスーパームーンの満月となる2022年7月10日()は、名護市の北東部、路線バスで真喜屋へ。名護市真喜屋と奥武島に架かる羽地奥武橋の下で出艇するつもりだったが、バス車窓からは道路沿いの羽地内海は干上がっていた。橋の下も干上がっており、強い日射を受けつつ、外海側へ真喜屋の浜を240m歩いて、出艇可能地に到着。界隈で唯一の岩島があり、深さが増していたことで、無事出艇。
 13日から晴れ間が失せる天気予報はであり、全日快晴の同日は、屋我地島を反時計回りに周回することにした。現在では名護市に合併された屋我地島は海岸線長16km(湖山池の周囲長18km)とあるが、初めての海域でのシーカヤックゆえ、自身にとっては大きなチャレンジとなった。

2000屋我地の海-2.jpg

奥武島の東岸を北へ(上)。屋我地島を結ぶ屋我地大橋を過ぎると屋我地島(下)

 真喜屋の浜から北へ、景観に浸りつつ、のんびりとしたシーカヤックを開始。奥武島東岸を約500m漕ぐと、屋我地島を結ぶ300mの屋我地大橋(1993年3月完成)を眺めつつ、さらに北上。
 屋我地島の南東端海域で、艇の空気漏れ感を感じ、小さな浜に艇を上げ、栓を締め直し、空気を追加挿入し、併せて“小休憩”も。
 屋我地島界隈の東側はサンゴ礁の海が1~2kmと広い。2-3m/s程度の弱い南風を背に受けながら、個性的な岩島も間に留めつつ、北上を続けた。屋我地島東岸の景色、海中の色合いの変化も楽しみつつ。

2000屋我地の海-3.jpg

遠方に古宇利島を目に留めつつ北上(左)。Hat岩(下左)。架け橋岩(下右)

 名護市に編入されるまでの屋我地島は屋我地村で、船で沖縄本島と結ばれていた。当地での漕艇を決めてから知り得たのが、北東端に国立療養所沖縄愛楽園。自身には、知識に留まるハンセン病。
 同所のホームページ(HP)には、冒頭に南から撮った航空写真が掲載されています。今では、屋我地島は、南東側の屋我地大橋、西のワルミ大橋で沖縄本島とつながり、さらに、北の古宇利島も古宇利大橋でつながれ、(路線バスは不便極まりないが)レンタカー等で、交通が容易になっています。
 敷地内北東部、オレンジ色の屋根は交流会館で、その東には、架橋前の船着き場と分かる地を目に留めました。HPには、歴史、モニュメント等が紹介されており、思いを馳せながらの漕艇でした。

2000屋我地の海-4.jpg

屋我地島の北東部にある愛楽園:昔の船着き場と思える地(上)。界隈の海は風光明媚(下)

 愛楽園界隈は、個性的な岩島(盾岩に向かう怪獣岩など)が多く点在し、正しく風光明媚!
 一方、浅瀬や暗礁もあり、波立ち具合を見逃さず、気配を探りつつの慎重な漕艇が必要でした。

2000屋我地の海-5.jpg

古宇利大橋の南は屋我地島(上)。北側に古宇利島(右)

 2005年開通、1960mの古宇利大橋は、当地の観光名所です。「美しいサンゴ礁の海域をひと跨ぎ、沖縄を代表する絶景スポット(今帰仁村観光協会)」、「絶景で人気。輝く海の上を走る(たびらい/沖縄観光情報)」、「海の上を走っているような気分が味わえる絶景の橋(おきなわ物語)」、「オキナワンブルーに輝く海の上に架かる離島架橋(沖楽)」などの形容があります。各々、海面に近いカヤックでは眺めることのできない俯瞰写真が紹介されており、一見に値します。

2000屋我地の海-6.jpg

屋我地島の北側「愛楽園の浜」点描:北東端は岩場の散策路(上)。岩島と愛楽園の砂浜(中・下)

 2022年の初体験時は、屋我地島東岸海域を北上中から、予想外に強めの北西の風に苛まれて、呑気な漕艇が妨げられました。必然的に、岩島も浅瀬・暗礁を回避すべく、遠回りの漕艇を余儀なくされました。北海域では、北西の風は外海と直結する地理で、よって、うねりもあり、セッセと古宇利大橋の南詰まで漕ぎ続けました。南詰は、本部半島が北西の風を抑制し、うねりも減じるとの読みでした。
 2023年は屋我地島の北海域も穏やかな海に恵まれました。よって、海岸線近くに艇を寄せながらの漕艇が可能で、堪能し得ました。

2000屋我地の海-7.jpg

古宇利大橋の至近、大きなカエル島:東からの撮影。同島の南から古宇利大橋を振り返り撮影(右上)

 古宇利大橋の南側を西へ通過。岩の上部が蛙の頭部に見える東海域からカエル島に近接し、南に降りて半周しました。大橋の南端には無料駐車場、浜に降りるスロープを併設した南詰展望所があります。カヤックから浜で憩う観光客を目に留めつつ、艇を漂わせて小休憩しつつ、上艇地を勘案しました。
 初体験の前年は、風を避けて屋我地島の西海域、水道部分を南下し、ワルミ大橋を抜けて、“沖縄の瀬戸内海と呼称される羽地内海に抜けました。“沖縄の松島”とも形容される内海で、とくに北西海域には緑豊かな島・無人島が点在しており、無人島に上陸し小休憩も。某看護師に「お土産に」と託されていたこともあり、対のイアリング出来そうな白い小さな貝殻を(年甲斐もなく)採集し、文字通りの“小休憩”も。既に、露出している大腿部や腕は日焼けで真っ赤になっていました。沖縄を発つ前に「顔は塗りなさい!」と、彼女から命じられていたので従いましたが、大腿部と腕は日焼け放題(笑)。

2000屋我地の海-8.jpg

2022年は風を避けて南下(左上)。ワルミ大橋を南に抜け(左上)、羽地内海で休憩(右上)。出艇地至近に帰還(右)

 羽路内海の北海域を東に漕ぎ、浜沿いに南下し、奥武島の西海域を過ぎて出艇地に向けるつもりでした。が、南東からの風が吹き続け、向かい風に困惑。

 事前学習で、土地勘を得ていたので、結局、羽地内海を一気に南岸へ漕ぎ、マングローブ林で著名な奈佐田川に向けました。期待通り。風が弱まった南岸域を東に漕ぎ、画像で見慣れた呉我橋を目に留めて安堵。界隈も干潮期は干上がりますが、難なく橋を通過し得て、奈佐田川を約1.2kmの漕艇体験。
 呉我橋には路線バスの停留所があり、上艇可能な地も確認済でした。が、潮が満ちた出艇地の環境が気になり、余力もあったので、奥武島を見定め、南岸域を弧状に約3km漕ぎました。

 出艇時は、干上がり、広い砂浜であった奥武橋西海域を、夕日に照らされた美しい岩島を眺めつつ漕ぎ、橋を東に通過。奥武橋を通過すると黒い帯状の海域(冒頭の組写真 18:24)が! 後日、地図で見たら、真喜屋の浜から砂州状に砂浜が伸びていることでの色合いの変化と分かりました。
 艇底が使える浅瀬を回避し、北側から東に出て、出艇した岩島付近に近接。
 転進し、奥武橋の下で艇から出た頃、夕陽が沈みました。約9時間近いシーカヤックで、炎天下には10時間以上いたことになりました。
 なお、古宇利大橋を通過した2回目の2023年7月は、西側の本部半島海域に近接し、海岸線を西へと反時計回りに漕いで、ウッパマビーチで艇を上げました。この海域は[(14) 運天港発]で紹介済です。

 地図(Google)と漕艇コースの概略を示しました。
 なお、冒頭組写真の右下枠円内に、出艇地至近の岩島が見えます。

Map.jpg

 以下は、HPのみの 2023年漕艇コース概要地図(Google)です。

_/  _/  _/

 鳥取県東部医師会報 2024年11月号掲載予定の原稿です。

_/  _/  _/

 オマケの備忘録:2022年の上艇

bottom of page